2019年8月20日火曜日

理想だよね!もうやってるし♬

日本ではじめて自然栽培の給食を取り入れた学校「羽咋市」。農薬に頼らず、自然栽培を選ぶことは、戦争に反対する意思表明でもある。


日本ではじめて自然栽培の給食を取り入れた学校。
石川県羽咋市。

「自然栽培」とは肥料・農薬には頼らず植物と土の本来持つ力を引き出し、永続的かつ体系的な農業のこと。
 
まだまだ慣行栽培の農産物の供給が圧倒的に多いが、「自然栽培」「有機栽培」は、慣行栽培のものよりも環境にも身体にやさしい。という認識は公認のものになりつつあるのではないだろうか?

しかし、自然栽培の米や野菜はまだまだ手に入りにくい。

そんな中、石川県羽咋市が2016年1月29日、

日本で初めての自然栽培の米と野菜を使った給食

を市内全小中学校の児童・生徒1455人に提供した。

メニューは

ーごはん
ー菊いもとにんじんのキンピラ
ー能登の里山汁
使用された米、菊いも、にんじん、里いもは自然栽培農法で収穫されたものを使用。

給食当番_(3585013233) (羽咋市HP:http://www.city.hakui.ishikawa.jp/sypher/www/info/detail.jsp?id=6554)
 

その羽咋市は、どんなところなんだろうか?

将来的には、全国で自然栽培の作物を使った給食を食べられる日がくるのだろうか?

世界農業遺産登録

2011年6月、石川県能登半島の「能登の里山里海」が日本で初めて世界農業遺産に登録された。
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世界農業遺産とは、2002年、食料の安定確保を目指す国際組織「国際連合食糧農業機関」
によって開始されたプロジェクト。

目的は、近代化の中で失われつつあるその土地の環境を生かした伝統的な農業・農法、
生物多様性が守られた土地利用、農村文化・農村景観などを「地域システム」として一体的に維持保全し、次世代へ継承していくこと。

「能登の里山里海」HPによると、
「能登は、地域に根差した里山里海が集約された地域であり、
今回の「能登の里山里海」の認定は、その総合力が高く評価されたものです。
農林水産業とそれに関連した人々の営みのすべて、
いわば能登の里山里海で育まれる暮らしそのものが「世界農業遺産」として認定されたのです。」
つまり、羽咋市のある能登半島は、
生活そのものが、維持していく価値のあるもの

と認められ、それを生かした地域づくりを世界で推奨されたのである。

そんな中で、なぜ羽咋市は「自然栽培」に力をとり入れるようになったのだろうか?


奇跡のりんごを生んだ木村さんの講演会を開催。

実は羽咋市はUFOのまち。UFO資料が充実したNASA特別支援施設の宇宙科学博物館コスモアイル羽咋もある。
UFOと言えば、

「奇跡のりんご」の木村秋則さんが

UFOと縁があることは有名。

自身の著書の中でUFOを見た話を載せている。そんなUFO繋がりか2010年、北陸で初となる木村さんの講演を開催。

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それをきっかけに、木村さんによる自然栽培実践塾を開講。
その後、「のと里山農業塾」として、市内外・県内外から多くの人集まり、自然栽培農法を学び、各地で無農薬・無肥料の米づくり、野菜づくりに励んでいるという。
2015年には再び木村さんの自然栽培セミナーが行われ、「一歩前に出る生き方で、日本から世界に向けて農業ルネサンス(復活)を発信していきましょう」と鼓舞されている。

愛媛・神戸産の安心安全な炭と水を活用したクリーンな土壌で作る農薬不使用野菜 8〜20袋セット
¥ 3,880 ~ ¥ 7,440 (税込)

給食で未来に繋ぐ、自然栽培への意識

自然栽培給食の実施によって、さらに「自然栽培」への関心が高まった

しかし、現状は、多くの農家が朝から除草剤散布。
あぜ道は枯れ草。

自然栽培の田畑はごく限られた場所だけだと言う。

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それも、そのはず、石川県も米生産高上位の県。
日本国民の米供給を支えるには、自然栽培だけで賄うにはまだまだ時間がかかって当然である。
しかし、この自然栽培給食の実施によって、さらに「自然栽培」への関心が高まっているという。

羽咋市の強みは行政とJAの共同企画

農薬や化学肥料を販売する側のJAが自然栽培を斡旋するのは、例を見ない。


給食を食べた子供たちにとっては、

自然栽培がどんなものか自分たちが普段食べているものはどんなものか
自分たちの住む市がやろうとしていることはどんなことなのか


考えるいいきっかけになったのではないだろうか。

給食は、美味しさが満足度に繋がりやすいが、

何を美味しいと思うかの味覚も、子供のころに育まれるもの。

「食育」というのは、生まれた時から始まっていて、幼少のころに食べたものが将来の体に大きく影響しているとともに、
幼少からの食習慣が将来の食習慣に直結する場合が多い。


  
今回の給食で、子供たちは何を感じたのだろうか?

将来、自分や自分の家族の健康を考える時、「医者や薬を選ぶ」のではなく、「自然栽培の野菜を選ぶ」という選択肢も持ってほしい。

オーガニック野菜 
そのためにも、1日だけでなく、継続した自然栽培給食の提供に期待が走る。

「自然栽培推進係」を市に設置。

また、市では、全国初の「自然栽培推進係」を設置し、
新規就農者への農地斡旋や住宅支援などに積極的。
行政が自然栽培や有機栽培に積極的なことは、羽咋市民以外の国民の注目を浴びている。

東日本大震災以降の移住ブームで、各自治体の移住支援や新規就農者支援も拍車がかかっているようだが、
やはり、自然栽培に対して理解があるのと、ないのとでは移住後の生活への不安に大きく影響するのだろう。

少しずつ、移住者も増えているようだ。

人口減少に歯止め!?

目先の利益よりも将来の存続を見据えた対策をしなければもはや生き残ることはできない。


日本は、世界が人口増加で苦しむ中、

2008 年から人口減少が始まっていて、加速度的に進むと予想されている。


地方都市では既に、若い世代が東京圏等へ流出する人口の社会減少も、
出生率が低下する自然減少も都市部に比べ急速に進んでいる。

羽咋市も そんな地方都市のひとつ。

市は創生戦略の中で将来都市像を

「みんなで築きます 活力にあふれ、人や自然を大切にするまち はくい」

と位置づけ、

「質」の高い雇用の創出による地域産業の創生 や
地域資源を生かした持続可能な「まちづくり」の推進などを基本視点としている。

そこで、注目したのが

「自然栽培」

ではないだろうか。

もちろん、木村さんとの縁があってこそかもしれないが、

目先の利益よりも将来の市の存続を見据えた対策

に力を注がなければ、生き残る道はないのかもしれない。

各市は、安全な食の生産地として名を挙げることで、雇用創出や活気につながるのではないか?


「食の安全」が叫ばれる昨今、
「安全な食の生産地」として、名をあげることが、その町を活気着かせ、雇用創出、定住促進に繋がる

という事例となれば、多くの自治体においても、こういった動きは活発になるだろう。

今後の動きが気になる羽咋市だが、市は2016年3月13日(日)東京都杉並区に、自然栽培に特化したアンテナショップをオープン。

みらい農業 はくい放送局
東京都杉並区方南2-4-28
営業時間:10時~18時
定休日:月(時期により変更あり) 
電話番号:03-6383-2333

アンテナショップは、自然栽培の農産物の販売以外に、市の観光、移住・定住のアピールといった情報発信の場、都内の消費動向の情報受信の場などとしての役割も担う。
これで、ますます羽咋市へのIターン、Uターンへの動きが高まってほしいのだが・・

チェルノブイリ原発事故を経験したロシアの科学者が開発、農薬や空気中放射線量を測る「有害物質チェックマシーン」8種
¥ 14,312 ~ ¥ 23,384 (税込)

自然栽培・有機栽培の時代へ

今までの日本と、これからの日本

茶畑 
羽咋市だけではない。
大分県臼杵市も市で有機農業に力を入れている。
その他、多くの地方自治体で、安全な食に注力している。

今や、「環境のため」「健康のため」「美味しさのため」といった理由だけで
自然栽培や有機栽培を選ぶ時代ではなくなったのかもしれない。

いかに、農業地区に人口を留めるかの手段になりつつあるように感じる。
今までは約一億三千万人もの人口の食料を小さな島国の日本で賄うために、

生産量が重要視されてきた。

慣行栽培あっての、自然栽培、有機栽培。
現代の食品消費スタイルからいって、手間や時間がかかり、生産量も安定的でない自然栽培、有機栽培だけで、全人口分の農産物を生産することは不可能に近い。

しかし、少子高齢化に伴う人口減少は今後もますます進むと予想されており、

量よりも質が優先できるようになってきたのかもしれない。


私たちが考えなければいけないのは、自然栽培、有機栽培だけにこだわるのではなく、農業全体を通して、

いかに、生産し、いかに消費するか。


その意識の変革を求められているように、思う。

農薬、肥料は何のために使われてきたのか?

戦争の産物である農薬。農薬や化学肥料は、戦争とともに発達

 
そもそも、いつから、慣行農業は安全ではなく、自然栽培・有機栽培は安全になったのだろうか?

農薬と肥料の歴史は長く、農薬は805年、肥料(堆肥)は鎌倉時代ごろに使用されはじめたと言われていて、
病害虫から作物を守り、収穫量の増加を目的に、工夫、研究、使用されてきた。
だからこそ、国が栄え、安定した食生活を送る習慣ができたと言える。

しかし、19世紀に入る前までは、大きな成果はなく、使用されていたものも、
今でいう、有機栽培に近い状態であったと考えられる。

農薬や化学肥料は、戦争とともに発達した

と言っても過言ではないほど、戦前、戦中、戦後の食に大きな影響を与えている。

農薬や化学肥料は火薬や毒ガスになり得るため、
戦中は使用が激減し、戦前、戦後は食料生産のため、大量に使用されたようだ。

日本から、武器を作らない工夫を

今日もオーガニックという選択を。

野菜たくさん 
そんな状況の中、全ての農家が「自然栽培」「有機栽培」を選ぶことができただろうか?

もし戦後、農薬や化学肥料を使って、多くの作物を育てる農家がいなかったら、どうなっていただろうか?

そして、これからの私達に、農薬や化学肥料は本当に必要なものなのだろうか?


8月15日は終戦日。今までの「日本」と、
これからの「日本」について、食を通して考え直したい。


自然栽培、有機栽培を選ぶということは、戦争に反対するということ
でもあると思う。

日本から、武器を作らない工夫を。

今日もオーガニックという選択を。

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