2016年9月13日火曜日

ホリエモンから学ぶ

堀江貴文「貧困だと騒ぐヤツは"札束"がカネだと勘違いしている」

cakes 9月9日(金)18時0分配信
『闇金ウシジマくん』を読むべきマンガ第1位に推す堀江貴文さん。書籍『ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない!』で34のマンガ名シーンを厳選紹介している中から、そのベスト5シーンを特別公開します。
4回目は、第2位のシーン。日本の貧困率は16%を超え、いまや6人に1人が貧困層に分類されています。女性や子どもの貧困化も進み、先行き不安は広がる一方です。貧困の原因と対策について、語り尽くします。


●紙幣自体に価値がないことは証明されている

 人はカネがなくなると、入ってくる情報の質が悪くなり、思考力が落ちるものだ。そしてカネがさらに減っていく悪循環に陥り、結果的に悪いカネに頼らざるを得なくなる。
 カネがない悪循環に陥る原因は、環境がどうのという以前に、そもそも良質な情報を得る努力を怠っているからだ。

 情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。

 おそらくカネを札束か、硬貨の山だと思っている。まったく違う。いろんなところで語っているが、あらためてカネの本質について説いておきたい。
 カネは大きく、狭義のカネと広義のカネに分けられる。多くの人がイメージするお金とは、たいてい狭義の方だ。日本銀行券。せいぜいドル、ユーロあたりの紙幣のことだろう。

 広義的には株券、土地の権利書も、カネと言える。換金性の高いもの、例えばブランドモノのバッグ、宝石とか、ゴールドもそう。Tポイントもカネと言えば、カネになるだろう。多くの人が価値ありと認めるものを一括して、誰でも万能で使えるようにしたのが紙幣、すなわちバンク・ ノートだ。

 成り立ちの歴史を遡っていくと、もっと本質が見えてくる。
 1897年、日本銀行は日本銀行兌換券を発行した。これは政府が同額の金貨と交換することを保証した、兌換紙幣だった。金本位制の始まりだ。その後、1931年の金貨兌換停止が決まるまで、金本位制の時代が続いた。
 この兌換券が日本の紙幣の元であり、紙幣そのものには何の価値もない事実を示している。兌換のシステムが、カネの始まりと言える。

 もともと、物々交換では効率が悪いからと、イスラム圏のユダヤ人が10~15世紀ぐらいにかけて、現在の流通貨幣の概念を生み出した。カネは物を交換する信用手形の機能を持った、人類の発明品だったわけだ。
 中国では、貝が貨幣として使われていた。カネに関する漢字に、貝偏が使われているのは、その時代の名残だ。なぜ貝だったのか。内陸地の広い中国では、金銀と同様、貝は希少性が高かったのだ。希少だからこそ、モノとしての信用が高かった。

 そして現代では、カネはモノではなく、デジタルデータでも代用できるようになった。
 私のように、日常の買い物手段はクレジットカードのみで、ほとんど現金を使わない人もいるだろう。カードがなくても、カネのやりとりをオンライン上で済ますこともできる。紙幣・貨幣そのものには何の価値もないことの証明だ。

●カネは信用を数値化したものにすぎない

 すなわちカネとは、信用だ。モノを手に入れる、人に貸す、ビジネスを進めるなど、必要な求めに応じてくれる信用を、国家が数値で保証している。モノとしての実体なんて、別になくてもかまわない。
 信用、それ自体が本質なのだ。

 だから「カネがなくて困っている」というのは、「信用がなくて困っている」という意味と同じだ。一時的に借金をすれば、解消できるわけではない。

 信用をいかにして取りもどすかという考え方をしていかないと、カネで困る人生は、いつまでも続く。

 銀行預金についても、多くの人は誤解している。通帳に記帳されている残高は、あなたの貯金ではなく、銀行への貸付金と捉えるべきだ。銀行に貯金するのは、銀行にお金を貸しているということ。その対価として利息を受け取っている。

 銀行のバランスシートでは、負債の部に預金があり、資産の部に現金が計上されている。銀行から見ると、預金は負債ということ。そして銀行は、負債を企業だとかいろんな組織に貸し出し、そのスプレッド(金利差)で稼いでいる。銀行にとっては一般市民の預金は負債という扱い。この事実は意外なほど、常識とされていない。

 カネとはそういうものだ。貯金だと思っていたら、負債だったりする。
 1万円紙幣はあくまで紙切れにすぎず、その紙切れ自体に1万円の価値はない。あくまで1万円の消費活動を可能にする、信用が付与されているだけのことだ。

 実体があるようで、まったくない。それがカネの正体だ。

●あなたが進めている取引も詐欺かもしれない

 カネは実体のない、単なる概念。なくなったら借りればいい。ただし違法なカネ貸しは論外。他に安全な借金は、いくらでもある。言いたいことはそれだけで、ほかに本質はない。
 でも、やっぱり世間の人たちは、札束がカネだと勘違いしていて、財布の中の紙幣を殖やしたがる。言ってみれば、「お札教」が、世界で最も影響力のある宗教なのかもしれない。

 お札信奉者たちは、マインドコントールにかかったかのようにカネ、カネと唱え続けている。ウシジマや現実社会の詐欺師たちは、そういった人々の信仰心を巧みに利用して、搾取や詐取、闇ビジネスを展開しているのだ。
 信じていて幸せだというなら、仕方ないけど、お札教の影響力はあまりにも強いから、アホみたいな詐欺師が、何の苦もなく大儲けできる世の中だ。

 残念ながら、詐欺師たちは、信用を巧みに捏造できる生き物だ。捏造だろうと何だろうと、信用が得られれば、カネを動かすことは難しくない。
 詐欺は違法には違いないのだが、何をもって本当の信用なのか詐欺なのか、はっきりした境目が存在しないから厄介だ。あなたがこれから進めようとしている仕事の取引だって、100%その可能性を否定できないはずだ。

 本当は詐欺または詐欺的な行為なのに、信用のプレゼンが上手いだけで、社会的な地位でも経済的にも大成功している輩は大勢いる。逆に本物の信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あいつは詐欺師だ!」と言い出すと、途端に詐欺師としか見られなくなってしまう。私などは、かなりひどく叩かれた方だ。

 詐欺師が人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことに、よく似ている。どちらも実態のないものが、ありがたがられている。
「価値がある」「保証されている」と世間の誰もが言うから、信用しているにすぎない。信用の本質の部分は、必ずしも問われていないのだ。
堀江貴文