2013年9月18日水曜日

民の再建

 「国をつくる、街を創る、人をつくる」

と言う大きな命題を掲げてみた。
今まさにこの国は、一大事でありこの先どこまで続くかわからないほどの一大事なのである。
が、その概ねは、多くの方がネット上で事細かに話してくれているので、
私は、人間関係、特に家族と言う物に着目してみたい。

 大戦後、一大国家日本を解体する時に使われた手法。
1.物を作らせない、想像させない。(TVは打ってつけの代物)
2.人間関係を希薄にする。

 これを踏まえて考えるならば、私たちの世代(只今50代)は大いに油断をしていたのだ。TV、Radioと言う媒体に知らぬ間に操作されてきてしまった。気付いただけ未だマシなのかもしれない。気付かない人がいたら早く目を覚まさせて欲しい。TVを見ていると思考しなくなってしまう。与えられる情報しか入らなくなってくる。いつしかそれがすべて正しい事だと勘違いしてしまう。

知らぬ間に国家戦略(どこの国の)により、核家族化が進み、近所とのましてやお隣さんとの付き合いと言う関係が希薄になって来てしまっている。

家族と言う観点から見れば、祖父母、本人たち、そして子供達。これが普通の家族であり、大切な家族関係単位なのだ。本人たちにわからない事でも、じいさんばあさんに聞けば分かる事も山ほどある。
これをちょっと発展させれば、ご近所と言う文字が出てくる。
近所付き合いも正に希薄になった最たるものと思われる。昔々は、井戸端会議と言う言葉があるように、近所の主婦たちが井戸の周りに集まり良く話していたものだ。他愛もない噂話やら何やら。
私の家も私が小さい頃は、
「醤油が切れちゃったから、隣に借りに行ってこよう」とか言う事が普通だったのだ。
「あれ、お米がちょっと足りない。隣に行って借りてくるか。」
とかね、勿論お隣さんが来る場合もあった。

 こういう事があるところは、いざという時の団結力が違う。昔の日本は、そう言った近所付き合いの塊が国家だったのだろう。だから尚更解体したがる諸外国があるのだ。「怖いから」
今やらねばならない事は、ご近所から始まり、街を包み、この市全体を近所付き合いの範疇にしてしまえば、もっともっとみんな熱く一所懸命何事にも取り組めるんじゃないのだろうか。何しろ、自分たちの事なんだから。弊害何て何にもありゃあしない。やるかやらないかは、各個人の気持ち次第!じゃない?!

小さな町で起きた波紋を、大きく大きく育て隣町にまで届くようにして行きたいものだ。そしてこの国のみんなが、「家族」になれる日が来て欲しいのだ。


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