2017年1月6日金曜日

音楽の力♪

 音楽は、人の心を和ませ、喜ばせ、楽しませ、そして切なくもさせる。私は少なからず、音楽の力を知っている。この音楽の力を借りて今回、イベントを2,3企画している。超楽しみにしてね♪

 4年前、とある自治会長に
「音楽で町興しなんて無理無理!」
と言われたなら、やってみなきゃわからんだろ♪ 根に持っていると言うより、私の引き金を引いてくれたような言葉に感謝なのだ♪

2017年1月5日木曜日

ニコラ・テスラ


気になって仕方ない天才。その全てが闇の中・・・

親愛なるホセ・ムヒカ前大統領♪

昼下がりのキャンパスに300人以上の学生と多くの市民が集まりました。ウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカ氏の講演を聞くためです。
ホセ・ムヒカ前大統領は、その質素な暮らしぶりから「世界でいちばん貧しい大統領」として知られ、2012年にブラジルのリオで行われた国連会議でのスピーチでは「世界が抱える諸問題の根源は、我々の生き方そのものにある」と説いて、世界にその名が知られるようになりました。
そんなムヒカ氏が、書籍『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』(角川文庫)の発売を記念して初来日を果たし、東京外国語大学(東京都府中市)で講演会を行いました。
80歳を迎えたムヒカ氏が、真剣な眼差しで聞き入る学生たちに語ったのは「世界を変えるために戦った経験から得られた4つの教訓」です。以下、日本の若者に向けたムヒカ氏の言葉をまとめました。

1. 消費主義に支配されるな


現代の消費主義に支配されてはいけません。でもこれは、言うのは簡単です。消費主義は、蜘蛛の巣に引っかかるようなものです。企業はこれを買え、あれを買えとあなたにお金を使うように仕向けてきます。それに甘んじてモノを買い続ければ、あなたはもっとお金を稼ぐために、もっと長い時間を、お金を稼ぐために費やすことになるでしょう。そうなると、あなたの自由な時間はどんどん減ってしまいます。
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本当に必要なものだけを買うようにしてください。そうすれば、あなたの自由な時間はもっと増えます。貧乏とは、多くのものを必要だと思ってしまう心のことです。無限にモノをほしがってしまう欲こそが「貧しい」ということなのです。

2. 歩き続けよ


人生でもっとも重要なことは、勝つことではありません。歩き続けることです。それはつまり、転んでも毎回起き上がること、新たに何かを始める勇気を持つということ、何かに打ち負かされたときにまた立ち上がるということです。
私は若い時、世界を変えるために戦いましたが、残念ながら世界を変えることはできませんでした。そして私は牢獄に入れられて10年以上を過ごしました。これは私にとって非常につらい時でした。でも、その辛い時間がなかったら、今の自分はなかったと思っています。

3. 同じ志を持つ仲間を見つけて闘争せよ


社会は集団というツールがないと変わりません。もしあなたが今の現状に不満を持っているなら、同じように不満を持っている人を見つけて仲間にしてください。仲間を集めて集団を作って主張すれば、大きな力はなくても、社会に意識を植えつけることができます。
これまでも、社会はこうして少しずつ変化してきました。100年も前は、労働者は15時間も18時間も長時間の労働をするのが当たり前でした。そんなとき、ある人がこんなことを言い出したのです。「1日の労働時間が8時間にして、寝る時間は8時間必要で、それ以外のプライベートな時間が8時間は必要だ」と。当時の人々の多くは「コイツはなんて頭のおかしいことを言うんだ」と思ったことでしょう。
でも、その人は仲間を集めて、闘争を始めたのです。今では8時間労働が当たり前になっていますが、自由な時間のために戦った人がいたから。今ではそんな闘争をした人は忘れ去られているのかもしれませんが、彼らは闘争することで他の人の意識を変えたのです。
社会が変わり続ければ「1日の労働時間は4時間が当たり前」になることも十分起こりうることです。
日本では、人々があまり希望が持てないと聞きました。若者の多くが投票にいかないそうですね。彼らは、社会が変化するということを信じていないのでしょう。
何か魔法のようなものが社会を変えてくれると考えないでください。あなたと同じ志を持つ人はたくさんいます。仲間を見つけて集まってください。そして、戦ってください。

4. 自分の利己主義を抑えよ


私は「最後の審判」を信じていません。でも何らかの人生の時点で、鏡の前に立ち止まって自分自身を見つめるときが来ることはあると思っています。そんなとき、これまで何かをやろうとして、何度も失敗したけど、行動に移した数々のことを思い出すかもしれません。「100やりたかったことがあるとすれば、5しかできなかったけど、行動に移すことができて有意義だった」と思えるかもしれません。
でも反対に、「私は人生で何もしてこなかった」「私の人生は浪費の連続だった」、「誰に対しても、手を差し伸べなかった」、「誰かのために時間を費やすことなんてなかった」と思うこともあるかもしれません。そんな人は、鏡の前に立ち止まったとき、自分の姿を見て失望するでしょう。そこに映っているのは、自分のエゴイズムでしかないからです。
すべての生命はエゴイズム(利己主義)を持っています。それは自分自身を守るために、自然が私たちに与えてくれたものです。でも、人間はひとりでは生きていけません。必ず他者を必要とする生き物なのです。
他人に勝つために戦うのはやめてください。そうではなくて、自分自身の心の中にあるもののために戦うのです。



講演や質疑応答の間、ムヒカ氏が何度も繰り返していたのは「闘争せよ」という言葉でした。「闘争を生まないことが理想だ」と教えられてきた人にとって、この言葉には抵抗感があるかもしれません。でも、ムヒカ氏はこう続けます。

あなたが生きている限り、他者との衝突は避けられません。大事なのは、コンフリクトを起こさないことではなく、どうやってコンフリクトを解決していくかということです。

あなたが闘争しないと社会は変わっていかない。ムヒカ氏のメッセージは、平和すぎる日本に向けられた警鐘なのかもしれません。

(文/大嶋拓人)
Photo by Flickr


2016年11月19日土曜日

これが理想だろ♪








これは一度、見に行ってみたい!各方面の専門家と一緒にね♪

2016年11月14日月曜日

自分の魂との語り合い♪

 誰も1人になりたくない。
 皆、何らかの仲間内に属していたいのだ。それも1つではなく、沢山の仲間内に属していたい。だから1人の人間が宗教団体や政党、○○クラブなどに属している。属すべきもっと多くの小さなグループが沢山ある。人は1日24時間、常に助けてほしい、かまって欲しい物なのだ。何故なら、偽物のアイデンティティは、助けなしには持ち応えられないからだ。

 1人になった途端、私は奇妙な不安を感じ始める。
 これまでずっと長い間、私は自分自身をこういうものだと信じていたのに、1人になった時、自分の中にもう一人の自分を感じる。それは、傲慢で狡賢くプライドの高いもう一人の自分。その存在に気づきどちらが本来の自分なのかさえ見極めづらい。ではいったい、私は誰なのだろうか?

 長年の抑圧の結果、本物が全ての姿を現すには暫し時間がかかりそうだ。
この時点で私はもはや偽物ではないが、しかし本物でもない。私は中間におり、そして未だ自分が何であるかを計り知らない。

 私が何かを行なう時、それは何であれ私の偽りの人格から出て来る。私のすべての行為はこれまでずっと長い間、その偽りの人格から出てきており、それは古い習慣になっている。習慣はなかなか死なない。

 私は、今迄愛して来た人や尊敬して来た人々、まわりの仲間達によって期待されて出来た偽りの人格で、あまりにも長い年月、その人格として生きてきた。彼らは別に意図的に私に悪いことをしたわけではない。ただ彼らは私にとって意識的な人々ではなかった。無意識的な人々が与えてくれる善意の意図は、毒に変わってしまう事もあるのだ。

 私は1人でいる時いつも、深い不安を感じる。
 それは突然、偽物の人格が消え始めるからだ。しかし私が長年見失ってきた本物の自分がしっかりと出現するには、もう少し時間がかかる。つまりはこれまでと今との間の溝に橋をかけなければならないわけで、こうした事実にもっと考慮しなければならないのだ。今それを構築している最中だ。

 私は、瞑想を知った。
瞑想は、もう一人の偽物の私を掻き消してくれる。瞑想は、本物を与えることもない。何故なら本物は与えたり奪ったりすることのできないものであり、私が本来持っているものだからだ。ゆえに、私の中の偽物を取り去る必要があるだけなのだ。

 瞑想とは、沈黙し孤独になる勇気のことだ。そうした中でゆっくりと、私は自分自身が持つ新しい資質を感じ始める。新しい活気、新しい美しさ、新しい価値観、そして新しい知性。それは誰かからの借り物でもコピーでもなく、私の内側にある。それは私自身の存在に根を張っており、私が臆病者でなければ、それはやがて花を咲かせ、実を結ぶ事と成る。

 人は、本来の自分自身を知ることなく死んではいけない。本当の自分自身とともに生き、本来の自分自身として死を迎えた時に自分の魂と話し合うのだ。
「いい人生だったかい?!」
「おう、楽しかったな♪」
「幸せだったかい?!」
「勿論さ♪」

 こんな事を自分に考えさせてくれたのも、人との出逢いに大きな感謝なのだ。








2016年10月14日金曜日

人の笑顔♪

 やっと出来たよ!ちょっとびっくりしているけど、喜んでくれている♪

何がかって?
「水素風呂と高濃度水素イオン液」
これを活用して、多くの方の身体のサビを取る。

心がどれだけ元気でも身体がガタついていては何も出来ない。
どれだけ素晴らしい発想があっても、動けなければ何にもはじまらない。

久々に「Barken通信21号」を創り多くの方や場所に届け置かせて頂いている。
その行く先々で私の水素生活話。

何しろ見本は私自身なのだ。
どれだけ私自信で効果が出たかを一目でわかるかのようしたつもりだ。
人一倍水素風呂に入って!





2016年9月13日火曜日

ホリエモンから学ぶ

堀江貴文「貧困だと騒ぐヤツは"札束"がカネだと勘違いしている」

cakes 9月9日(金)18時0分配信
『闇金ウシジマくん』を読むべきマンガ第1位に推す堀江貴文さん。書籍『ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない!』で34のマンガ名シーンを厳選紹介している中から、そのベスト5シーンを特別公開します。
4回目は、第2位のシーン。日本の貧困率は16%を超え、いまや6人に1人が貧困層に分類されています。女性や子どもの貧困化も進み、先行き不安は広がる一方です。貧困の原因と対策について、語り尽くします。


●紙幣自体に価値がないことは証明されている

 人はカネがなくなると、入ってくる情報の質が悪くなり、思考力が落ちるものだ。そしてカネがさらに減っていく悪循環に陥り、結果的に悪いカネに頼らざるを得なくなる。
 カネがない悪循環に陥る原因は、環境がどうのという以前に、そもそも良質な情報を得る努力を怠っているからだ。

 情報は入ってくるものではない。こちらから、取りに行くものだ。仕事やカネで失敗し、いつまでも悪い環境から抜け出せないような人は、環境に負けたのではなく、単純に情報弱者なのだ。情報弱者だから、カネの本質というものをまるでわかっていない。

 おそらくカネを札束か、硬貨の山だと思っている。まったく違う。いろんなところで語っているが、あらためてカネの本質について説いておきたい。
 カネは大きく、狭義のカネと広義のカネに分けられる。多くの人がイメージするお金とは、たいてい狭義の方だ。日本銀行券。せいぜいドル、ユーロあたりの紙幣のことだろう。

 広義的には株券、土地の権利書も、カネと言える。換金性の高いもの、例えばブランドモノのバッグ、宝石とか、ゴールドもそう。Tポイントもカネと言えば、カネになるだろう。多くの人が価値ありと認めるものを一括して、誰でも万能で使えるようにしたのが紙幣、すなわちバンク・ ノートだ。

 成り立ちの歴史を遡っていくと、もっと本質が見えてくる。
 1897年、日本銀行は日本銀行兌換券を発行した。これは政府が同額の金貨と交換することを保証した、兌換紙幣だった。金本位制の始まりだ。その後、1931年の金貨兌換停止が決まるまで、金本位制の時代が続いた。
 この兌換券が日本の紙幣の元であり、紙幣そのものには何の価値もない事実を示している。兌換のシステムが、カネの始まりと言える。

 もともと、物々交換では効率が悪いからと、イスラム圏のユダヤ人が10~15世紀ぐらいにかけて、現在の流通貨幣の概念を生み出した。カネは物を交換する信用手形の機能を持った、人類の発明品だったわけだ。
 中国では、貝が貨幣として使われていた。カネに関する漢字に、貝偏が使われているのは、その時代の名残だ。なぜ貝だったのか。内陸地の広い中国では、金銀と同様、貝は希少性が高かったのだ。希少だからこそ、モノとしての信用が高かった。

 そして現代では、カネはモノではなく、デジタルデータでも代用できるようになった。
 私のように、日常の買い物手段はクレジットカードのみで、ほとんど現金を使わない人もいるだろう。カードがなくても、カネのやりとりをオンライン上で済ますこともできる。紙幣・貨幣そのものには何の価値もないことの証明だ。

●カネは信用を数値化したものにすぎない

 すなわちカネとは、信用だ。モノを手に入れる、人に貸す、ビジネスを進めるなど、必要な求めに応じてくれる信用を、国家が数値で保証している。モノとしての実体なんて、別になくてもかまわない。
 信用、それ自体が本質なのだ。

 だから「カネがなくて困っている」というのは、「信用がなくて困っている」という意味と同じだ。一時的に借金をすれば、解消できるわけではない。

 信用をいかにして取りもどすかという考え方をしていかないと、カネで困る人生は、いつまでも続く。

 銀行預金についても、多くの人は誤解している。通帳に記帳されている残高は、あなたの貯金ではなく、銀行への貸付金と捉えるべきだ。銀行に貯金するのは、銀行にお金を貸しているということ。その対価として利息を受け取っている。

 銀行のバランスシートでは、負債の部に預金があり、資産の部に現金が計上されている。銀行から見ると、預金は負債ということ。そして銀行は、負債を企業だとかいろんな組織に貸し出し、そのスプレッド(金利差)で稼いでいる。銀行にとっては一般市民の預金は負債という扱い。この事実は意外なほど、常識とされていない。

 カネとはそういうものだ。貯金だと思っていたら、負債だったりする。
 1万円紙幣はあくまで紙切れにすぎず、その紙切れ自体に1万円の価値はない。あくまで1万円の消費活動を可能にする、信用が付与されているだけのことだ。

 実体があるようで、まったくない。それがカネの正体だ。

●あなたが進めている取引も詐欺かもしれない

 カネは実体のない、単なる概念。なくなったら借りればいい。ただし違法なカネ貸しは論外。他に安全な借金は、いくらでもある。言いたいことはそれだけで、ほかに本質はない。
 でも、やっぱり世間の人たちは、札束がカネだと勘違いしていて、財布の中の紙幣を殖やしたがる。言ってみれば、「お札教」が、世界で最も影響力のある宗教なのかもしれない。

 お札信奉者たちは、マインドコントールにかかったかのようにカネ、カネと唱え続けている。ウシジマや現実社会の詐欺師たちは、そういった人々の信仰心を巧みに利用して、搾取や詐取、闇ビジネスを展開しているのだ。
 信じていて幸せだというなら、仕方ないけど、お札教の影響力はあまりにも強いから、アホみたいな詐欺師が、何の苦もなく大儲けできる世の中だ。

 残念ながら、詐欺師たちは、信用を巧みに捏造できる生き物だ。捏造だろうと何だろうと、信用が得られれば、カネを動かすことは難しくない。
 詐欺は違法には違いないのだが、何をもって本当の信用なのか詐欺なのか、はっきりした境目が存在しないから厄介だ。あなたがこれから進めようとしている仕事の取引だって、100%その可能性を否定できないはずだ。

 本当は詐欺または詐欺的な行為なのに、信用のプレゼンが上手いだけで、社会的な地位でも経済的にも大成功している輩は大勢いる。逆に本物の信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あいつは詐欺師だ!」と言い出すと、途端に詐欺師としか見られなくなってしまう。私などは、かなりひどく叩かれた方だ。

 詐欺師が人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことに、よく似ている。どちらも実態のないものが、ありがたがられている。
「価値がある」「保証されている」と世間の誰もが言うから、信用しているにすぎない。信用の本質の部分は、必ずしも問われていないのだ。
堀江貴文